武井壮さんの「生きる武器を手に入れに行く教育」コメントを考える

武井壮さんがTwitterで発信した「生きる武器を手に入れに行く教育」コメント。
賛否両論がいろいろあるため、今回はこの件について考えていく。

このコメントは正しいか正しくないか?

「このコメントは正しいだろうか?」

この手の発信を見ると、どうしてもこのように考えてしまう。
しかしこの2択で判断できるだろうか?
個人的には、この2択で見ようとする時点で間違っていると捉えている。

 

個人的に武井壮さんの意見は正論であると考えている。

「『つまらない授業』を『仕方なく受ける』教育から『生きる武器』を『手に入れに行く』教育に変えるべき時代だと思う」

「卒業してもただ出席の為に授業出て、話も聞かず座ってるだけなら学位なんか意味はないよ」

「卒業してなんとかいい会社に、と思うこともいいが、学びとった『武器』を生かしてまず社会で必要とされる自分の仕事を作る為にどうするべきか考えるべきだ」

「日本の教育は『与えられるもの』だという考え方が殆どだが『より良い人生』を手に入れるために『もぎ取りに行く』感覚が足りないと思う」

「『学ぶ側』と『教える側』が社会で『より豊かに生きていく』事に注力できていないことが今の教育の一つの問題だと思う」

一部分の抜粋だが、個人的に反論の余地は無い。
ただ全ての人に当てはまるかと言えば、それが出来なくて苦しんでる人がいるのも事実。
次にヤフーの記事に書かれている反論コメントをピックアップしてみる。

「そのようなニーズがあるから専門職大学などがでてきたんだろうし、それはそれでいいとは思う」

「高校までのカリキュラムがつまらないと感じる生徒が多くいるのは事実ですが、だからといって『無駄』だとは言えません」

「そんな人(チャレンジを諦めた人、先生)が、生きる武器の手に入れ方を教えることは出来ません。経験したことのない物を教えることは難しいでしょう」

「従来の教育で何ら問題ない。武井さん自身が従来の教育を受けてきて『生きる武器』を手に入れたのだから個人の学習意欲・態度の問題であって、制度の問題ではない」

反論コメントを一言でまとめるなら次になる。

「学校にそれを求めるのか?」

 

私は今の教育制度を絶対悪だとは考えていない。
生まれや環境によって必ずしも平等ではないが、かなり公平なシステムなのは間違いない。
裏口入学などの例外を除けば、テスト自体は全員が公平な条件で行っている。

 

この手の問題を考える時、どうしても教育を先に考えてしまう。
しかし個人的には、教育を変えるには社会が先に変わらないといけない。

教育がいかに良くなっても、社会が受け入れなければ無意味である。
逆に言えば、社会が受け入れてくれれば自然と教育も変わる。

社会が「勉強だけではダメだ!」となれば、自然に教育も変わらざろう得ない。

 

学校が変わる必要があるのはもちろんである。
しかしそれ以上に社会や大人達が変わらないといけない。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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