知識や知っていることは人を幸せにするのだろうか?

知識や知っていることは、人を幸せにするのだろうか?
逆に知らないことは、人を不幸にするのだろうか?
今回はこの件について考えていく。

幸せの定義とは何だろう?

知識がある方が、知識が無いより好ましい。
知らないよりは、知ってる方が好ましい。
誰もがこのように考えるが、幸せを定義するならそうなのだろうか?

 

例えば、楽しいことを知っている方が幸せである。
しかし悲しいことを知っているのは幸せだろうか?
ただ言葉を変えれば、悲しいことを知っているのは不幸だろうか?

 

このように知ることは、いろいろな良さと悪さを併せ持つ。
現在読んでいる「アルジャーノンに花束を」という本の中で、32歳になっても知能が幼児なみの男性チャーリイ・ゴードンが出てくる。
手術により知能が改善されるのだが、その内に自分が今までバカにされていたのを知る。
その結果として、いろいろな感情が出てきてしまう。

この変化を見る担当している女性は、次のようにゴードンに語っていく。
「ただただ神さまに祈ってるの。あなたが傷つかないように」

 

何事も知ることは必要である。しかし知ることによって不幸を感じることもある。

例えば、貧乏は不幸だろうか?
このように問われれば、多くの人が肯定するだろう。

しかし個人的には別の意見を持っている。
「貧乏を不幸と感じなければ、貧乏が不幸とは言えない」

 

貧乏とは絶対的なものではなく、相対的なものだと考えている。
例えば現在、貧乏と言われる人でも、戦後を考えれば裕福と言えるだろう。
戦後なら食べれるだけで幸せだったが、今なら食べることしか出来ないと不幸を感じる。
これは周りがそれ以上なのを知ることにより、貧乏と感じ不幸と感じる。
もちろん貧乏に慣らされることが幸せとは言えないのは書くまでもない。

 

現在ではテレビやネットを通じて、毎日のように不幸な出来事を知る。
今が不幸な時代と感じるかもしれないが、今までは知らなかったことで良さを感じていたかもしれない。

 

個人的には現代のように、知る社会の方が好ましいと考えている。
しかし多くの人にとって、知る社会が幸せなのかは分からない。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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